48年振りのネパール紀行2017

   

井上二郎

 
8月22日 関西空港18:35発 羽田空港19:55着。 21:30羽田集合。
参加者は全麺協理事長中谷さん 理事の板倉さん 丸山さん夫妻等々総勢13名
(男性7名 女性6名)中谷さんの私的旅行である。富山7名・東京3名・北海道2名・関西1名
 
8月23日 羽田空港00:30発 バンコック05:00着。同 10:15発 カトマンズ12:25着。
アルジュン シン トラチャン氏経営する ホテル「サンセット ビュー」に荷を解く。 奥様の紘子さんは日本人でアルジュン氏は日本語が堪能。
午後 世界遺産のある古都パタンを見学する。途中仏画等の工房の並ぶ一角で、布に描かれている「曼荼羅」を2枚購入。ヒンズー教寺院である旧王宮は博物館になっており、興味深く見学(入場料1000ルピー)。 2015年の地震で崩れた寺院を修復していた。石と木の建物は見事な彫刻が施されていた。ホテルは国会議事堂の近くで、街中でありながら、近くに学校がいくつか集合している場所で、樹木が多くあり静かな場所でした。
 
8月24日 カトマンズ空港(標高約1200米)からポカラ空港(同 約800米)に移動。ポカラは高度が低くい上に南に位置するので暑かった。雨季終末のため、楽しみにしていたマチャプチャレは雲の中だった。ホテル「モナリザ」に荷を預け 市内見学へ。昼食は湖の対岸にある皇太子殿下が投宿されたホテルで、筏又はボートで渡る。鱒料理と温野菜が美味だった。ネパールビール「グルカ」も美味しかった。庭園に南国の花々が咲き乱れていた。
今日は女性のお祭りの日「断食日」で、日中は断食して良縁を期待する祭りだそうです。
着飾った女性が寺院その他広場に集合し、踊りを楽しむ祭り。日が沈むと「ごちそうとおしゃべり」を楽しむとのこと。中にはもう良縁なんか関係ないであろう年配の方々も大勢おられた。カシミヤ専門店でショール購入。
 
8月25日 愈々 今回の目的である「赤いそば畑」のあるムスタン県のジョムソン空港に向かってポカラ空港を飛び立つ。約20人乗りの双発機は順調に飛行を続けたが、目的地に近づくにつれて雲が現れて視界飛行が続けられなくなり、ポカラに引き返した。古いランドクルーザー3台で、陸路ジョムソンを目指すことになった。順調に行けば8時間・普通で10時間の行程である。カルガンダギ河沿いの悪路を10:00出発。同乗者は 板倉氏・中村氏(元日経新聞カメラマン)・アルジュン氏と私。現地の運転手ともで5名。後列の真ん中の席は辛いので、1時間毎に席を時計回りに移ることに決める。
ベニのリバーサイドホテルで昼食。焼きそばが美味しかったが、食欲の進まない中谷さんの半分を私が平らげた。ビールも欲しかったが道中のトイレを考えて遠慮する。ティプリヤング・タトパニ(温泉)を過ぎ、ダウラギリ街道を進んだが、大きな滝の所で道路補修工事のためストップ。しかもあろうことか工事用の大型トラックがギアの故障で道を通せんぼしてしまう。重機でトラック横の崖を削って道を拡張しだしたが、3時間も待たされる。拡げられた崖の上部の岩がぐらついており、危険極まりない様子。ガイド他と相談して、危険場所は徒歩で通過してその先で待機することになった。すぐに車が来ると思いきや、日没になり雨が降り出す。心細くなった時、工事人の方が「すぐ近くに私の家があるのでそこで待機してください。」との好意に甘えて暗い中 雨に打たれながら歩き出す。家に着くまでに車3台通過してきた。
ようやく車に乗り込んで、今夜の宿「ロッジ タサン ビレッジ」のあるコバン村に着いたのは22:00だった。なんと飛行機ならば35分程度が12時間費やして到着した。 すぐに夕食(というよりも夜食か)を摂って、シャワーも浴びずにベッドへ。
 
   
  アンナプルナ8091m  
   
  ダウラギリ8168m  
8月26日 6:00ごろ、ホテル屋上からアンナプルナ8091米・ダウラギリ8167米の巨峰を眺める。今日は飛行機が飛んでいた。
8:00ホテル発。40分でツクチェ村到着。ここは48年前お世話になったセルチャン一族の出身地でアルジュン氏の出身村でもあり、インドラマン セルチャン氏とアルジュン シン トラチャン氏は親戚関係。明治の初めこの村に河口慧海が2年間滞在して、チベット語とチベット仏教の経典を学び、チベット人に変装して鎖国していたチベットに日本人として初めて潜入したという話があるが、滞在していた家も見学した。
飛行場のあるジョムソンを過ぎると荒涼とした砂漠地帯。黒い粘土を含んだ濁流であるカルガンダギ河沿いの道とは言えない悪路をひたすら走る。ただ耐えるのみ。ヒンズー教の聖地を目指して、正装したインド人一家の巡礼をよく見かけた。西洋人トレッカーもよく見かけた。
11:00ごろ ナウリコット村に到着。残念ながら今年は「赤いそば」が余り栽培されておらず、3面の畑しか確認できなかった。それも近づくことさえ叶わず、遠くから撮影しただけでした。アルジュン氏によると、観光関係の仕事が増えて、畑仕事する人が極端に減少しているのだろう、とのことでした。
ツクチェ村の入口にある、そば博士 氏原輝男氏の慰霊碑を詣でる。氏原博士は利賀村とツクチェ村の橋渡しをされた方だそうです。 ロッジタサンビレッジ泊
 
8月27日  今朝もアンナプルナ・ダウラギリがよく見えた。このホテルはヒマラヤの景観が売りのホテルで、ヘリポートも有り、ちなみにカトマンズから客5人乗りヘリ往復で25万円だそうです。
  ジョムソン空港から、約20名乗りの小型機にて約35分でポカラ空港に到着する。25日は見えなかった マチャプチャレ6997米 の秀麗な山容に感激する。 ポカラから約40分の飛行でカトマンズ着。
  ガイドの案内により ダウンタウンで買物をする。三浦雄一郎・田部井淳子さんご用達の店だった。孫に手提げバッグ(1000ルピー)を購入。他には毛織サブザック(3500ルピー)カレンダー・国旗のマグネット等々を購入する。
 
8月28日  ヒマラヤ遊覧飛行のため、5:00ロビーに集合空港へ。(一人20000ルピー)
6:00発であったが、悪天候のため様子見の結果8:00過ぎ飛行中止になる。それでもどういうシステムか一人1000ルピーのキャンセル料を取られる。 午前はホテルでのんびり過ごす。
ホテル サンセット ビューは日本人客相手が売りで、なんと「手打ちのざるそば」が食べられる。ここのネパール人スタッフが20年前長野県戸隠村で修業してきたとのことです。
ネパール人そば職人のそば打ちを見学した後、中谷理事長から「井上さん打ってみないか」とのご指名。全麺協理事長と板倉5段・丸山5段・丸山夫人4段の前で、緊張しながら打ちました。延し棒はそっているし、包丁はすべるし、鉢は小さいし、そば切り台はでこぼこ、そば粉は更科粉に近くしかも粗目。非常に打ちにくかったがなんとか打つことが出来ました。その後ネパール人のそばと私のそばを、全員で試食しましたが、私の打ったそばの方が美味しかったことを、僭越ながらお伝えしておきます。
  午後 私以外のメンバーは聖なる河での火葬場の見学に出かける。私はアルジュン氏の好意で、48年前に逢ったインドラマン氏の子息 キーラン マン セルチャン氏に面会できることになりホテルに残る。15:00キーラン氏は運転手付きの自家用車で到着した。彼は日本語ダメ・私は英語ちょぼちょぼ。アルジュン氏の通訳のお蔭で楽しい1時間を過ごすことができました。48年前のこと彼は良く覚えていてくれました。彼の父インドラマン氏と叔父ゴビンドマン氏は早くに亡くなり、ホテル ラリ グラスは廃業して、今は家具関係の商社を経営されているそうです。家族に逢わせたいとことですが、時間がないので叶わず、2年以内に必ずカトマンズに来ますので、その折又会いましょうと約束して別れました。キーラン氏に逢えるとは夢にも思わなかったので、当時の写真も遠征記録本も持参していなっかたのが残念です。
  夕食はカトマンズ超一流のアンナプルナホテルでディナー。インド料理中心でタンドリーチキン・ナン・各種のカレー煮込み料理の数々で食が進みました。赤ワインが料理に合ったのか、美味しかった。
ネパールの国産ビールは「エベレストビール」と「グルカビール」がありますが、どちらもなかなか飲みやすいです。
 
   
  カトマンズでそば打ち  
   
  左から アルジュン シン トラチャン氏 井上二郎 キーラン マン シェルチャン氏  
8月29日〜30日 11:00ホテル発空港へ。13:30タイ航空にてバンコックへ。18:15バンコック着。
22:05バンコック発。   翌30日06:15羽田着。羽田にて解散。09:00羽田発
10:20関西空港着。関空ベイシャトル11:00発 神戸空港11:31着。車を運転して12:00ごろ帰宅。
中谷さんは20回目のネパール行で、次回はタライ地方ルンビニ・自然公園等々を計画しているとのことで、「次回もご一緒しましょう。」と誘われています。(時間は全て現地時間)
 
     
稜線山岳会(神戸商科大学山岳部OB会)、兵庫県立大学山岳部
 
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